【政治家って何してるの⁉】近藤タカヒロさんに小学生と一緒に話を聞いてみた~とっても素敵な近藤家のみなさん(ヨハン君とダイアナさん)~


画像

今回は最近成増界隈で名前をよく見かける「近藤タカヒロ」さん。坂本あずまお議員の後継としての成増の次世代を担うキーパーソンに小学生の子供と一緒に話を聞いてきました。

画像
ヨハン君、とてもキュート!

タカヒロさん、ヨハン君やダイアナさんの人柄に触れて、とっても素敵な近藤ファミリーのファンになりました。

これまでの生い立ち

画像

高島平中央病院から明治大学進学まで

画像
最近はすっかり近代的な建物になりましたね。

産まれは高島平中央病院で、実家は中板橋にあります。

母親は日本人で、父親はドイツ系のアメリカ人です。父親とは幼少期から離れて暮らしており、シングルマザーの家庭で育ちました。

母が働きに出ていたこともあり保育園(弥生保育園)に入園し、中根橋小学校を卒業後、板橋第三中学校進学しました。中学校時代はバスケ部で部長を務めました。中学校三年生の9月に部活を引退してからは大山にある建武館で空手を習い始めました。

画像

その後、都立文京高等学校を卒業し明治大学法学部の夜間学校にに進学しました。

空手は今も続けており、建武館とつながりのある成増の和心館で現在も修練を積んでいます。

母への感謝と孤独な子育てへの想い

画像

幼少期はあまり感じていなかったですが、シングルマザーとしての苦労があったと思います。シングルマザーとして子育てをしていた母は「母親の役割」だけではなく「父親の役割」を含めた二人分の役割を担わなければならないこと、また、金銭的な部分でも大変だったかもしれなかったと感じています。今は一児の父親になって改めて母へはとても感謝しています。

また、母がフルタイムで働いていたため、祖母や地域の方々にも大変お世話になりました。幼少期に様々な方に支えられて育ってきた経験もあるため、シングルマザーやシングルファザーを含めた孤独な育児をさせない仕組み作りの大切さを痛感しています。

「ハーフ」としての苦悩

画像

母は日本人ですが、父はアメリカにルーツを持ちます。加えて、自分の容姿は父親の血が強く、日本人に見られにくいこともあり、初対面の方には「日本語がお上手ですね。」と言われることがありますが、高島平中央総合病院で生まれ、中板橋で育った生粋の板橋っ子です。

幼少期は、いわゆるハーフということで、髪の色や顔つきなどの容姿が周囲の友達とは違うことで疎外感を感じることもありました。また、心無い大人から「国に帰れ!」と言われた経験もあります。

画像

しかし、学生時代にアルバイトをしていた際に、外国人お客さんから言われた言葉でハッとした経験があります。

「君は見た目が日本人とは違うけど、海外の方?」

「私は日本の母とアメリカ人の父の間に産まれたハーフの日本人です。」

「ハーフ?ハーフじゃなくて、ダブルじやないか。」

「ダブル」という言葉に、自分の中にある「日本人の母」と「アメリカ人の父」の2つの血が多様性という価値に変わったような気がしました。

現在は板橋区にも海外にルーツを持つ方が多くいます。自分が小学生の頃は学年に1,2人くらいでしたが、今ではクラスに複数人いることも珍しくありません。このように多様化する社会で、多様な価値観やバックグラウンドを受け入れ、そして、多様性を板橋の力にしていけるような活動をしていきたいと考えています。

大学進学と三足の草鞋

画像

大学の学費を自分で工面する必要があったので、学費が安く、また、日中働くことができる明治大学法学部の夜間学校に進学しました。日中は空手の先輩のもとで整体師として働きながら、夜間は学業に励んでいました。

加えて、中学生3年生から始めた空手の経験を活かしプロのキックボクサーとしてデビューを果たし、学業と仕事とボクシングの3足の草鞋を履いていました。

キックボクサーとしての戦歴は3戦2勝1敗です。最後の3戦目で黒星を喫しましたが、その際に3足の草鞋を履く中でオーバーワークになってしまっていることを感じました。そこで、キックボクサーの道は諦め、学業と仕事に注力することにしました。

大学卒業後のキャリア

画像

大学卒業後は企業への就職活動もし内定を頂いたこともありましたが、自分らしい人生を歩みたい、自分の可能性に挑戦したいという思いからモデルの道を選択しました。

モデルとしては、大手アパレルメーカーのカタログなどに出させて頂いたり、ファションショーのランウェイを歩いたりしていました。モデルの仕事をしている際に、親友の結婚式で偶然同席したあずまお議員と意気投合し、一緒に釣りに行ったりする中で親交を深め、それがご縁であずまお議員の区政報告会の司会をさせていただいたこともありました。

30代になり自分のキャリアを見つめ直す時期となり、モデルとしての仕事には区切りをつけ、派遣社員としてNTTドコモの系列企業で働き始めました。数年働く中で正社員に登用してもらいました。仕事内容としては応対品質管理や新規事業開発などを担っていました。

新しい家族「ヨハン」と半年間の育休

画像

2017年には結婚し、2022年には子供が生まれました。子供の名前は「ヨハン」と言います。パートナー(近藤ダイアナローズさん)がカトリックということ※、また、妻がフィリピンの出身であり子供は日本の血が25%であることからあえて日本の名前をつけないほうがルーツにあっているのではないかと考え、「ヨハン」にしました。
漢字で当て字をすることも考えましたが、姓名判断をしたところカタカナがのほうが運勢が良かったので「近藤ヨハン」に決めました。

※(ヨハン(johann)はイエス・キリストの使徒ヨハネに由来。ちなみにヨハン(johann)はアメリカではジョン(john)に相当。ドイツでヨハンは「太郎」のような一般的な名前。)

出産や育児においてパートナーが日本語の面で苦労すると感じたこともあり、半年間の育休を取得しました。

上司はとても理解のある人で、「お前がいなくなったらめちゃめちゃ困るけど、育児頑張って来いよ!」と快く育休の取得を後押ししてくれました。

区議会議員への挑戦

なぜ区議会議員を志したのか

画像

区議会議員を志したのは、坂本あずまお議員のお声がけがきっかけでした。

2022年春に遡りますが、坂本あずまお議員が区長選に向けた検討をする中で、あずまお区議の座布団(地盤)を引き継ぐ後継者を探していました。

その中で、共通の友人を通じてあずまお議員の後継としてのお話を頂きました(以前、あずまお議員の活動報告の司会進行をしたことがあったので、ご縁はあったそうです)。

画像

初めてお話を頂いたタイミングは第一子が産まれた直後で6ヶ月間の育休を取得しながら家事や育児、またパートナーの産後のケアに忙しい日々を過ごしていました。そのため、正直なところ自身が議員になることについて考える暇もなく、一旦は保留にさせていただきました。

しかし、育児が少しずつ落ち着いてから自分自身でも区議会議員の仕事内容を調べたり、パートナーと相談し始めました。また、周囲の方々の後押しもあり、心が動き始めました。

これまでお世話になってきた板橋への恩返しをしたい、そして、自分自身が子供の父親になったこともあり、子供達が住みよい板橋にしていきたいという想いが日に日に強くなりました。

そして、2022年10月ににサラリーマンとしての安定した人生を捨て、選挙に挑戦することを決断しました。

区議会議員を志してからの生活の変化

画像

選挙に向けて舵を切ってからは目まぐるしい日々を過ごしています。

10月下旬に立候補を決意しをして、11月に下村衆議院議員に挨拶に行き、11月中旬に公認内定されました。

公認を頂いてからは会社への説明や退職に向けたスケジュールの確認、また、あずまお議員の選挙地盤である成増への引越など選挙に向けた準備を慌ただしく行いました。

画像

さらに、年明けからは選挙準備・活動が本格化し、事務所の開設やあいさつ回り、街頭演説などをしています。また、そうした活動を通じて多くの方々のお話を伺う機会があります。一人ひとりの声に真摯に耳を傾け、区政において実現・解決に繋げていきたいと考えています。

選挙事務所は河野雄紀元都議にご紹介いただき、成増駅の改札を出て左に30メートルくらいのとても好きな場所に構えることができました。拠点を構えたことで、気を引き締めて選挙活動に励んでいく所存です。

尊敬するあずまお議員

画像
引用:https://www.azumao.com/tayori/530/

坂本あずまお区議の意志をついで板橋や成増・赤塚・三園をより良い街にしていきたいと考えています。

まだ、地元にはあずまお議員のファンが多くいらっしゃり、「あずまお議員は選挙に出ないの?」と聞かれることもあります。

これだけ地元の方に支持されてきたあずまお議員の地盤を引き継ぐにあたっては、緊張感を持ちながら、あずまお議員の期待に応えられるように活動・活躍をしていきたいと考えています。

とはいっても、まずは顔を知ってもらわないとはじまりません。一人でも多くの方へのご挨拶を通じて「近藤タカヒロ」という名前と顔を覚えてもらうことに励みたいと考えています。

どんな板橋・成増を子どもたちに残していきたいか

画像

板橋区は都心へのアクセスも良く住みやすい街ではある一方、他の区の住民からするとこれといった特色がない印象があります。板橋の魅力を見つけ出し、もっと多くの人に知ってもらえる機会があるといいと思っています。

例えば、板橋には素晴らしい技術を持つ中小企業が多く存在しており、新規事業を通じて大きく飛躍するポテンシャルを持っています。こうした企業が真の力を発揮できるような支援をし、板橋の企業のさらなる成長、そして、板橋の経済の活性化(ひいては、税収アップ)に繋げていきたいと考えています。また、様々なアイデアを持つ人達がその力を存分に発揮できるようなスタートアップ支援にも取り組みたいと考えています。

画像

区議会議員として地元の声に真摯に向き合いたいと考えています。選挙活動を通じて地元の方々の声を聞く機会があり、その中には困り事への相談もあります。

例えば、ある方は自宅の隣が公園になっているのですが公園の植栽の剪定の頻度を上げてほしいというと要望を伝えてくださいました。過去に公園内の植栽に蜂の巣ができて近所の子供たちも遊ぶ場所だったので危ないと感じたことなどを教えてくださいました。

画像

また、成増は坂道が多いのでベビーカーを押して上がる際の段差を整備して欲しい、東部東上線の成増駅周辺を高架化して欲しい、2022年末に死亡事故が立て続けで起こったことから交通安全に配慮して欲しい等、様々な声を受けています。こうした一つ一つの相談の背景には様々な事情があるのだと感じるとともに、しっかりと相談者の声に耳を傾けないと悩みの本質にある「想い」を理解できないと感じています。

国や都との役割分担、区としてのリソースの限界、法律や条例などもあり、一区議会議員として出来ることと出来ないことはどうしてもありますが、それでも皆さんの声に真摯に傾聴する姿勢は持ち続けなくてはならないと感じています。

画像

こうした活動を通じて、「板橋や成増・赤塚・三園に住みたい」と思ってもらえるまちづくりをしていきたいですし、一児の父親として子どもたちにより良い街を残して行けるように活動していきたいと考えています。

子供からの質問

成増の好きなところはどこですか

個人的に坂が好きなので、菅原神社の階段坂から見える景色が好きです。

【成増クイズ】ここの坂は雰囲気があって好きです!

どこか分かりますか?#成増クイズ #成増#急な坂 pic.twitter.com/7IjlPybGyO— なりますチャンネル(通称:なりチャン) (@kagayaki4kids) October 3, 2022

最後に

画像

今回は坂本あずまお区議の後継として成増・赤塚・三園地域を地盤に活動をされる「近藤タカヒロ」さんにお話を聞いてきました。

最近では成増界隈には「近藤タカヒロ」と書いたポスターがそこかしこに掲示されていますし、また、今後の成増がどのような街になっていくかという点においてキーパーソンになるであろう方なので、どのような方なのかと気になっておりました。

今回のインタビューは本当に唐突なお願い(Twitterで直接連絡をさせて頂いた)だったのですが、快くインタビューを引き受けてくださいました。心より感謝いたします。

画像

当日は近藤さんだけではなく、奥様やヨハン君も一緒に新しく開設したばかりの事務所にお邪魔させて、1時間以上にわたりお話を伺わせて頂きました。

画像
趣味はプラモデルやフィギュアだそうで、こちらは色付けも自分でされたそうです。

はじめはヨハン君も「なんだこの人たちは?」となかなか目を合わせてくれなかったのですが、インタビューが終わるころには子供とヨハン君は仲良しになっていましたし、私自身も目を合わせて笑顔を見せてくれるようになりました。ヨハン君、とってもかわいいです。

ダイアナさんも子供と一緒に遊んでくださってありがとうございました。

画像

我が家の子供も翌日から成増界隈で「近藤タカヒロ」のポスターを見つけると「あっ、タカヒロさんだ」と楽しそうに「タカヒロさん探し」をしています。タカヒロさんのファンになったそうです。
※ちなみに、インタビュー後に成増駅を通った際に「田中やすのり」さんが街頭演説をされていたので、「やすのり」さんにも反応したりしています。なんとなく政治に興味が出てきたかもしれません。

最後になりますが、近藤家の皆様には心より感謝いたします。

この記事を書いた人