【なりますスコープ】成増には遊園地があった!?〜兎月園の池を探せ〜

今から約100年前に成増に遊園地が設立されたのを知っていますか?

成増スコープは成増のかつての姿に想いを馳せながら街を探索する企画です。

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今回は戦前の成増にあったと言われる遊園地「兎月園」の足跡を追うとともに、ボート遊びができたという池がどこにあったのかを子供たちと突き止めて行きたいと思います。

兎月園とは

地名に残る「兎月園」

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成増南口を出てスキップ村商店街を通り抜け、ビッグボーイの前の交差点から川越街道を超えると「兎月園通り」があります。

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https://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/3030.htm
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兎月園通りには「兎月園珠算塾」や和菓子ふじむらの「兎月まんじゅう」といった兎月園にちなんだ名称が残っていたりします。

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実は、兎月園通りを光が丘方面に100mほど進んだ一帯にはかつて兎月園が位置していました。

兎月園が遊園地になるまで

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兎月園の歴史は古く今から百年ほど前の大正10年に遡ります。

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妙安寺

貿易商である花岡知爾(ともちか)氏が、旭町3丁目に位置する妙安寺の寺領1万坪を借りて「成増農園」という貸農場を始めたことが、その出発点であったそうです。

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根津美術館

花岡氏が成増を選んだのは、当時の東武鉄道社長・根津嘉一郎氏からの「東上線沿線の成増周辺を発展させたい」という想いを受けてのことだそうです。

貸農場はヒットし、裕福な華族達がお供を連れたり家族連れで行楽を兼ねてやって来るようになったそうです。加えて、開園から2年後となる大正12年9月の関東大震災により東京では食料不足が発生したことで利用客が増加しました。

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サービス品質の向上に向けて、利用者が貸農園で汗を流すだけではなく、食事を取る料亭、汗を流すための浴場、自転車は走らせるグラウンド、動物舎といった行楽施設を増設していったそうです。

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そのような経緯を経て、兎月園が複合娯楽施設、つまり、遊園地としての原型を形作っていきました。

兎月園の池はどこ消えた!?

兎月園は第二次世界大戦が激化する中、利用者が減少し経営が困難になったそうです。そのため、1943年に閉園しました。

兎月園の敷地は妙安寺の土地であったのですが、池があった付近の谷間は明電舎の成増アパートなどが建設(借地)され、運動場や農園は豊渓中学校になりました。

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兎月園には、施設の中心に3,000坪あまりの大きな池が位置していたと言います。

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Google Map

こちらが現在の兎月園があった場所の現在の地図になります。

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縮尺を概ね合わせて横に並べるとこんな感じです。

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ざっくりと重ねてみるとこんな感じになります。池がどこにあったのかが大まかに分かります。実際に現地に赴いて近隣の方にお話を伺ってきました。

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練馬わがまち資料館

こちらが兎月園があった頃に料亭と池をおさめた貴重な絵葉書です。

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だいたい同じ場所を現在撮影したのもがこちらの写真です。こちらのマンション(レガード成増)は兎月園通りに面しており、かつては兎月園の料亭があった場所に位置しているそうです。

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そして、駐車場は池の一部になっていたそうです。兎月園があった頃とはすっかり変わってしまっています。

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レガート成増が位置する22番地のレガート成増以外の土地は三角形のような形をしています。こうした土地の多くはかつては沼だったそうです。

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マンションの駐車場に面したこちらの住居はかつて池だった場所だそうです。

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三角の土地の一本細い道が通っていますが、かなり入り組んだ印象を受けます。

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三角の土地の南側は駐車場になっていて、そこ暗渠に面しています。かつては光が丘公園のお玉ヶ池を水源とする小川が流れており、その水をためて兎月園の池を作っていたそうです。

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練馬わがまち資料館

動物舎が見えますが、こちらは池から豊渓中学校の方向を見た写真だと推察されます。

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同じような場所を現在撮影したものがこちらです。今も暗渠の南側はちょっとした崖になっています。かつてはこの地形を利用した滝があったとか。

妙案寺〜兎月園の土地所有者〜

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兎月園の設立経緯の説明でも言及しましたが、兎月園は借地であり所有者は妙安寺だつたそうです。

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今も兎月園跡地のすぐそばに立派なお寺があります。

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ちなみに妙安寺の前は安くて美味しい「やきとん泰希」があります。わたしも銭湯の帰りにここで焼き鳥を食べるのが楽しみです(最近は子供が銭湯についてきてくれないので行けていませんが💦)

お玉ヶ池から白子川への暗渠巡り

せっかくの機会なので兎月園の池に水を供給していた小川の暗渠を辿ってみました。

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まずは光が丘公園入り口付近からスタートしました。お玉ヶ池は光が丘公園敷地内にあったそうです、ただ、戦時中に成増飛行場を開設する際に埋め立てられてしまったそうです。

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暗渠は大きめの道からスタートしています。

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少し進むと細い道に出ます。いかにも暗渠らしい道ですね。

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暗渠の道は住民の安全な抜道に活用されています。この暗渠の和光側の通りは川越街道と光が丘公園をつなぐ抜け道として利用されていて、かなりのスピードで車が走っているのを見かけます。つい1ヶ月前も凄惨なひき逃げ事故が起こったので、この抜け道は車が来ないので安心です。

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暗渠にはマンホールの蓋がいたるところにあります。

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暗渠沿いには不思議な建物がありました。

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更に奥に行くと石畳の道が現れます。

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石畳を抜けると兎月園通りが現れますが、こちらを渡ると旧兎月園の敷地に入ります。

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少し窪んだ土地になっていて、少し薄暗い印象があります。

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ここは前述しましたが、兎月園の池があった場所と考えられます。この駐車場から大きな池が広がっていました。

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兎月園の池の跡地を抜けると暗渠が行き止まりに。

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回り道していくとフェンスの向こうに暗渠が見えてきます。

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フェンスの上から見るとこんな感じです。

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緑道を通っていくと白子川沿いの道に出ます。

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道を渡るときれいな道に出ます。

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更に住宅街を進んで行きます。

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白子川が見えてきました。

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暗渠の最後は木の蓋がついたフェンスになっていました。

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子供も興味しんしんです。

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下を見下ろすとこんな感じでした。今は暗渠や周辺住居からの雨水が主に流れてきます。

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