
「東京都と埼玉県の都県境ってどこだかご存じですか?」
ある日、娘と白子川にかかる寺前橋(東上線の線路の下の橋)を渡るときに「この橋を渡ると埼玉県だよ」と伝えました。
すると娘は「じゃあ、白子川を渡ると埼玉県になるの?」と聞いてきました。
私は「そうだよ」と答えました。
しかし、よくよくグーグルマップで都県境を見てみると必ずしも白子川とは一致しておらず、かなりぐにゃぐにゃした形状をしていることを知りました。
そんな日常の会話をきっかけに、今回は「東京都と埼玉県の都県境を自分の目で調べてみたい!」という想いから子供たちと白子川と都県境をめぐる探検に出ました。

途中で80年以上白子に住んでいる「湧水のおじいさん」、白子川沿いの住宅から白子川を眺める「窓際のおばあさん」、ボランティアで環境整備される「都県境のおばさん」などの様々な人からかつての白子川の様子をお伺いしたりもしました。
行程①旧白子川自動遊園地からスタート

今回のなります探検隊は寺前橋の脇に位置する「旧白子川児童遊園地」からスタートします。

公園は細長い形状で川の流路に沿って位置しています。

公園を少し過ぎたあたりの板橋区と和光市の都県境に川に侵食された崖のような地形があります。

うねうねとした道が続きます。いかにもかつての白子川の流路を思い起こさせます。

ここは旧白子川緑道に続く道になっています。かつての白子川はこの道のもう少し埼玉よりを流れていたそうで、都県境ももう少し埼玉よりに位置しています(写真はありませんが、この写真の少し先を左折すると細い空白の土地があったりして都県境を見ることができます)。

ちなみにソライエ成増の敷地を少し超えたあたりの成増北口通りとの交差点には「瑞光橋」というバス停があります。かつて、ここのあたりに川が流れていたことを物語っています。なお、瑞光橋というのは瑞光寺というお寺が近隣にあったことから名づけられたとか(このバス停を少し下ったところに成和橋という橋がかけられています。この橋は成増と大和市(かつての和光市)との間の橋という意味だそうです)。
行程② 旧白子川緑道〜湖池屋は都県境の真上!?〜

白子川に関する資料を調べていたところ、「旧白子川緑道」の説明があったので抜粋いたします。ここは農業用水として利用されていた水路の跡だそうです。そのため、もともと白子川が流れていた流路とこの農業用水として使用されていた旧白子川緑道の流路は一致していないようです。

旧白子川緑道はこのような長閑な雰囲気が漂っています。歩道もあるので子供連れでも安心して歩くことができます。ザリガニなんかもちらほらといたりします。

成増5丁目公園の前を進みます。

湖池屋が左手にあります。

実はこの湖池屋は板橋区と和光市の境界の真上に位置しています。湖池屋の手前の道路を見ると道路の色が変わっている箇所があります。子供の左足が和光市、右側が板橋区であり道路工事の主体も変わってくることが推察されます(色が変わっている場所の前方の壁の屈折も気になります)。
工程③新旧白子川のクロス〜成増団地の再開発を横目に〜

成増5丁目公園を過ぎるとフェンスに囲まれた不思議な空き地が出現します。ここは都県境となっている場所でかつての白子川の流路と推察されます。前回の暗渠探検の経験から川の痕跡を見つけるのがうまくなってきた気がします。

成増団地が前方に見えます。この場所はかつては団地が建設されていましたが、建て替え時に建物のレイアウトが変わったために(高層化)空き地となったそうです。活用方法が決まらずに数年にわたって空き地となっています。現在は道路整備をするために工事をしています。


ここから川は湾曲しながら成増団地の敷地の橋の緑道を抜けながら進んでいきます。
現在の白子川と成増団地の敷地がぶつかるあたりには印がついており、都県境であることがわかります。

成増団地の案内板を見ると都県境が非常にわかりやすく明示してありました。

かつての白子川を旧白子川が交差して超えていった場所がこちらの写真です。住所が成増になっていることがわかります(この建物の歩道を挟んで手前側は白子です)。この建物からは基本的に護岸に沿った建物は板橋区の住所となっています。

ただ、何故か一部だけ白子の住所が出てくるところがあったりします。このあたり一帯は非常に土地が低くなっていることもあり川の流れが蛇行しやすいのかもしれません。ぐにゃぐにゃとした都県境がかつての白子川の姿を思い起させます。
川沿いで窓から景色を眺めていたおばあさんにお話を伺ったところ、この辺りの白子川沿いの道は30年程前までは砂利道だったそうです。床上浸水を含む河川氾濫が起こったこともあったそうです。護岸工事をしてからは水害はないそうですが、かなり土地が低いことが知られています(成増橋あたりが一番土地が低いとか)。

白子川護岸をしばらく歩くのですが、この区間はかつての白子川跡の土地が売却され住宅になっているため明確な都県境を把握することは難しかったです。かろうじて、たまに住宅地の間にくぼみを見つけるとそこを境に成増と白子に住所が分かれている場所はあったりします。
そのため、ちょっと探検に飽きた子供たちは途中の橋で鯉や亀におやつのおすそ分けをして楽しんでいました。5~60cmの巨大な鯉数十匹がゆうゆうと泳いでいます。
工程④住宅街の中を抜ける川の痕跡〜固定資産税は面積割!?〜

三園通りの手前あたりでかつての白子川の流路を発見しました。この駐車場の先まで細い路地が続いているのですが、ここはまさに旧白子川が流れていた痕跡です。細い路地を境に成増と白子と住所が分かれています。

都県境を明示するために設置された印です(この地に80年住んでいらっしゃるというおじいさんから教えていただきました)。娘の右足は東京で、左足は埼玉にあります。住民の方にお伺いすると、この印はかつての白子川の流路の中央でありまさに都県境を示しているとのことでした。

植え込みにも都県境を発見しました。この辺りは旧白子川の流路が入り組んでいたそうです。そのため、家によっては都県境を跨って建っているそうで、その場合は固定資産税が面積割になります。都県境をしっかりと把握しないと固定資産税を徴収できないので国税調査官は大変らしいです。

この辺りは地下水が豊富です。自由が丘フラワーズというオンラインの切花の作業場となっている建物は地下水が豊富に出てくるそうです。組み上げないと水没してしまうそうで、ポンプで水を汲み上げ続けています。なお、切花の作業に湧き水を使うそうで、上水が整備された今では時に厄介視されてしまうこともある湧水が効率的な事業経営に結びついているそうです(現在作業場を拡大するために増築中)。
【自由が丘フラワーズ】旧白子川沿いの湧水を利用した切り花のオンライン販売youtube.com

ここは地下水を汲み上げるポンプがあります。かつては割烹水車という料亭があったそうで、そこで川魚を調理するために井戸水を引いていたそうです。安倍晋太郎さんや公設秘書時代の安倍晋三さんも利用されていたそうで、由緒ある料亭だったそうですが、時代の変遷とともに現在は廃業しています。

三園通りから湧水を汲み上げるポンプを見た様子です。ここの一帯はかつては和光市の初代市長を務めた柳下さんの一族の土地とのことで、借地となっているそうです。ポンプは現役で動いていて、料亭は無くなってしまいましたが周辺の住宅では湧水を引いて生活用水として利用されているそうです(維持費などは地主が負担)。湧水が生活に根付いているって素敵ですね。
旧白子川歩道~和光市と板橋区の連名の案内板~

旧白子川遊歩道です。板橋区と和光市が連携で看板を出しています。

まさに遊歩道という名前にふさわしく、遮るものもなく思いのままに歩くことができます。子供も何もない空間を走っていました。

ただ少し気になった点として、和光市側のちょっとしたスペースに畑が作られていました。旧白子川の川跡のスペースには周辺住民が畑を作ったりみかんをはじめとした果樹を植えたりしている光景を見ます。板橋区側は比較的整備されているそうですが、和光市側は未だに無法地帯の様相を呈している場所があったりなかったり。
【都県境】板橋区と和光市の境の畑(成増団地前@開発中)youtube.com

畑の隣は竹藪となっています。竹の侵食力の凄さを垣間見ます。

竹藪は不法投棄に利用されてしまっています。チャイルドシートやNojimaの袋が見えます。最近捨てられたような新しいゴミもありました。旧白子川の跡地をどのように行政コストをかけて管理するかというのは難しい問題なのだと感じました。
溝下橋付近から伸びる謎の線

溝下橋まで進んできました。橋の向こうに見えるのは「みその幼稚園」です。

溝下橋の左側から歩道に入ります。ここの歩道には不思議なオレンジ色の線がひかれています。これは実は都県境だそうです。2,3年前にひかれた真新しいものだそうです。

100m近くのオレンジ線が続いているのですが、この線がひかれている理由がこの景色に隠されています。近隣に50年間住むという女性にお伺いしたところ、この線は住民に対して都県境を明示するためにひかれたそうです。
この道はかつては白子川の流路だったのですが、河川の直線化に伴ってしばらくは細い用水路として利用されていたそうです。60~70年ほど前に用水路に枕木と土砂を埋めて用水路としての役割を終えました。
埋め立てた土地は和光市の管轄となるはずなのですが、和光市は埋めた用水路の整備を特にしませんでした。その結果、少し前に掲載した畑があった場所のように、周辺住民が勝手に家庭菜園を始めたりみかん等の果樹を植えてしまいました。
こうした状況を快く思わない周辺住民(新しく住み始めた方等)は、状況を行政に訴えました。そして、何故か和光市の土地なのですが板橋区の行政指導があり畑は廃止となり街路樹が植えられました。
一度はこれで収まったように思えますが、しかし、和光市の敷地に板橋区が植えた街路樹を誰が管理するのかという歪な問題が残ってしまいました。結果として、和光市も板橋区もこの問題に対処できぬままとなってしまい。街路樹が伸び放題の荒れ地と化してしまっています。
こうした板橋区と和光市のどちらが伸び放題の荒れ地を整備するかという問題を背景にオレンジの線がひかれたとのことでした(線がひかれて責任の所在は明らかになりましたが問題は解決してはいないです)。
このような話を聞いて、都県境をめぐる板橋区と和光市のせめぎあいがあるのだな~と興味深く感じるとともに、行政という大きな組織においても境界をめぐるご近所トラブルがあるのだな~と親近感がわいた次第でした。
なお、一部の土地では板橋区が植えた街路樹が引き抜かれて果樹が植えられてしまっていたりします。しかも、植えた人も管理が面倒になったり高齢化などで維持できなかったりして無法地帯となってしまっていることも。
【全力ダッシュ】都県境を走り抜ける(和光市と板橋区)youtube.com
※後日現場を見に行きましたら、竹藪が伐採されていました。和光市が整備したのかな。

マクドナルドでの攻防~成増駅が和光市に編入!?~

寺前橋の脇の白子川児童遊園地からオリンピック通りまで2時間近く歩きました。子供たちもよく頑張りました(姉に至ってはスタートしてから30分くらいは文句ばかり言っていました)。

そんな頑張った子供たちにご褒美ということでマクドナルドでハッピーセットを購入しました。ちょうど子供が大好きなプラレールのおもちゃが付いていたので、奮発しました。
二つの机を並べて右に姉、左に弟が座っていたのですが、姉が自分の机を和光市で弟の机を板橋区と言い出しました。なります探検隊を通じて子供に地域の地理や風土を感じてほしいと思っていたのですが、少しは興味を持ってくれたのかな~とうれしく感じました。
ただ、しばらくすると弟が姉のポテトを横取りしてしまい、姉が弟に「和光市には決して入ってくるな。和光市のポテトをとるな。」とここでも都県境問題が勃発していました。
ポテトを取られた腹いせに、弟が成増駅と呼んで遊んでいたプラレールのおもちゃの駅を、姉が強奪してしました。結果、成増駅は和光市に編入されました。
最後に

長文を最後までお読みいただいてありがとうございました。
姉に「白子川を越えたら埼玉県なの?」と聞かれて、「えっ、だいたいそうだよ。」とお茶を濁した反省から都県境をグーグルマップで調べたのがきっかけで今回の探検を行いました。
グーグルマップを見れば都県境は非常に高い解像度で明確に記載されています。ただ、実際に歩いてみると、様々な発見があり都県境というのは本当に面白いな~と感じました。また、様々な出会いもありました。

80年以上白子に住んでいる「湧水のおじいさん」、白子川沿いの住宅から白子川を眺める「窓際のおばあさん」、ボランティアで環境整備される「都県境の女性」、また、探検隊の道中を温かく見守ってくださった皆さん、どうもありがとうございました。感謝いたします。