なんと高島平団地周辺にタワマンができるそうです。もともとは、高島平団地の再活性化に向けた建て替えを検討してたそうですが、様々な案が検討される中でタワマンという案が浮上し、実行に向けて具体的な計画が立っているそうです。
令和4年3月30日板橋区とUR都市機構が連鎖的都市再生の協働に基本合意

東京都板橋区(以下「板橋区」という。)と独立行政法人都市再生機構(以下「UR都市機構」という。)は、高島平地域の持続的発展が可能なまちづくりを推進するため、連鎖的都市再生に協働で取り組むことを令和4年3月30日に基本合意しましたそうです。

イメージとしては「防災」、「ウェルフェア」、「にぎわい」、「スマートエネルギー」という4つのテーマに分けて高島平の活性化や安心なまちづくり、持続的成長につなげていこうということが示されました。

そのイメージのなかで「再生連鎖モデル」が提唱され、種地という場所を設け、ここに一際背の高い建物が建設されています。こちらの建物に既存の建物から移住者を募り、既存の建物を取り壊すようです。さらに、こうした破壊と再生を繰り返すことで高島平団地一帯の新陳代謝を図るという計画です。ちなみに、この一際背の高い建物がタワーマンションとのことです。

高島平地域交流核形成まちづくりプランの策定

板橋区は、高島平駅周辺の将来像を定める「高島平地域交流核形成まちづくりプラン」を令和6年3月26日に策定しました。これらを契機に、令和6年度から高島平地域のまちづくりは実行期に移すそうです。「高島平地域交流核形成まちづくりプラン」については、かなり長大な資料となっているのですが、かいつまんで記載いたします。

高島平第7小学校が再整備地区1に指定されていまして、そこに「⓵共住機能」として地上110のタワーマンションが建設されるそうです。

タワーマンションの低層階は商業施設や交流機能を担うそうです。また、主変には広場なども設けられるそうで、かなり利便性の高い居住空間が作られるようです。
モデルは柏の葉スマートシティ
高島平のモデルは柏の葉スマートシティとのことです。壮大な計画ですね。大学とかも教育機関も誘致するのかな??
建設スケジュール
具体的なスケジュールも資料に記載されていましたので、資料を張り付けてみます。

計画は「準備ステップ」、「⓵第1ステップ」、「②第2ステップ」、「第3ステップ以降」の4段階に分かれています。
準備ステップ


準備ステップにおいては2025年頃から高島平第7小学校や健康福祉センターが取り壊されるようです。高架下の整備や広場の整備もこの準備ステップにて行われるようですかぬやこ。
第1ステップ


第1ステップにおいては、準備ステップで解体した小学校跡地を含めた地域にURがタワマンを建設するようです。また、周辺のプロムナード(西側なので、タワマン横)や緑地の整備も行うようです。

もともと、小学校跡地は板橋区の所有ですが、URが保有する高島平団地の33街区と交換するイメージのようです。33街区は将来的に区の行政サービスが受けられる地域になるようですので、タワマン住民の方々は便利ですね。
第2ステップ

第2ステップでは、駅周辺の整備が行われるようで、駅前のプロムナード(東側)の整備や緑地やデッキの整備も行われるそうです。

なんとなく、タワマンと駅が直結する感じみたいですね。
第3ステップ以降

資料には明確に第3ステップ以降に関する記載はほとんどありませんが、前述の33街区に行政サービスを受けられる施設を建設したり、また、新しく居住建物を新設し、順々に破壊と再生を繰り返しながら高島平団地を長期的に再生してくようです。

ただ、33街区の解体は2031~2035年ということですので、タワマンが建設され、移住完了後の作業となるようです。逆に言うと、タワマンは少なくとも2030年頃には完成しているということでしょうか。

令和6年3月28日「高島平地域のまちづくりの推進に係る基本協定」、「高島平地域における交流核の整備推進に係る実施協定」


「高島平地域交流核形成まちづくりプラン」の策定を踏まえ、2022年の基本合意を改め、高島平地域全体のまちづくりを推進するための基本的事項や、交流核の整備を協働により推進するために必要な事項を定めた「高島平地域のまちづくりの推進に係る基本協定」、「高島平地域における交流核の整備推進に係る実施協定」を令和6年3月28日に締結したそうです。これで、URとの土地スワップ取引も協定され、建設計画も具体化していくそうです。
地域住民の声

高島平団地の老朽化が進む中で、空き部屋も目立つようになりましたし、住民も高齢化してきている印象でバリアフリーとかも大事。団地が再生することで高島平が活性化する原動力になるといいと思います。
高島平にタワマンwww
駅までのアクセスも良く、公共サービスも近隣でき、商業施設や広場などもあると、子育て世代にとってはありがたいです。
タワーマンションに住む人ともともと団地に住んでいた家庭の価値観が違って、学校とで分断が起きないか少し心配。
区長はタワマン建てるの好きなのかな。区長変わったら、この大規模開発路線どうなるのかな。
松屋さんはどうなるのでしょうか。
また、長く高島平に住まわれている方からは思い入れのある団地が無くなってしまうことへの不満もあるとのことです。記者の想いのこもった素敵な記事ですので、よかったらぜひ(一部有料で読めないですが)。
高島平団地の歴史

かつては高島平団地の場所には広大な徳丸田んぼが広がっていました。当時を知る人は、高島平を車で走ると一面の田んぼで何もなかったと言います。
戦後の団塊世代が大人になり、住宅需要が逼迫することが予想される中で、東京都やURは東京都のはずれにある広大な徳丸田んぼに目をつけました。
そして、1963年12月、URは36万坪の土地を地主より購入し、高島平団地の建設が確定しました。当時の土地の売り渡し価格は1坪あたり2万1千円だったそうです(いまは高島平周辺は坪単価170万円くらいです。タイムマシーンで当時に戻れるなら1000坪くらい買いたい)。

1965年6月に施行区域が決定されると、具体的な建設計画に基づき、14階建を中心とする高層団地、計10,170戸が建設されました。途中で住宅需要の高まりを受け計画変更などもあり、当初の倍以上の戸数規模になりました(戸数を増やすために、3DKなどの大型住宅を減らし、2DKや1DKを増やすといった手法もとられたため、高島平団地は比較的コンパクトな部屋が多いそうです)。

当時の高島平団地は東洋一の規模を誇っていました。システムキッチンが導入された近代的な作りであり、また、14階建てという見上げるような高さに入居希望者が殺到したそうです。さながら、当時は今でいうタワマンのような存在だったそうです(高すぎるあまり、自殺の名所になってしまったという負の歴史もありますが)。

ちなみに、高島平団地の賃料は他の団地の約2倍の高さだったそうです。入居した多くの子育て世代では、高い家賃を払うために共働き世帯が多く、保育園需要が逼迫したそうです。
令和の育児事情とも通じるところがあり、高島平の先進性を垣間見るエピソードだと感じます。

団地ができ、団塊世代の子供たちが次々に生まれるようになると、児童の数も増えていきました。そして、既存の高島平第1-6小学校では児童が収まりきらず、1979年には高島第七小学校が建設されました(当時は生徒も一つの学校で1,000人を超すこともざらにあったといいます)。
山田邦子さんや稲垣吾郎さんといった芸能人もこうした高島平の児童の一人として育ったそうです(山田邦子さんは小学校5年頃に引っ越して高島平に来たとか)。

そして、時代とともに高島平団地の住人の年齢層も高まり、子どもも少なくなり、2017年に高島第七小学校はその役割を終えました(歩いて2分くらいの場所に高島平第五小学校がありますので、閉校しても児童の通学時間の負担は少なかったとか)。そして、2025年に解体に向けた棟下げ式がとりおこなわる運びとなっています。
団地とともに生まれ、団地とともになくなる高島第七小学校の跡地に、天高くそびえるスカイスクレーパーのような高層マンションがそびえ立つ計画が策定されたことには隔世の感を禁じえません。
そして、かつては東洋一の団地として誇らしくそびえ立っていた14階建ての団地とタワマンのコントラストに、高島平の人々は何を思うのでしょうか。
お役立ちリンク
2024年に締結された「高島平地域交流核形成まちづくりプラン」のリンクです。具体的な計画も記載されています。
2024年UR都市機構と基本協定を締結。
柏の葉スマートシティ
公文書館さんの写真などを引用させて頂きました。いつもありがとうございます。